おはようございます。ミツアキです。
5月8日は八田與一さんが亡くなった日。
日本より台湾で語り継がれる偉人。台湾で最も尊敬される日本人です。
台湾は親日家が多く、観光で日本人が訪れても温かく迎えてくれるといいます。それも八田與一さん達のような、当時台湾のために努力した日本人のお陰だと言っても過言ではありません。
八田與一ってどんな人?
八田與一さんは日本の水利技術者で、台湾に「烏山頭(うさんとう)ダム」を造る陣頭指揮を執った人。その功績が、現在でも台湾の子ども達が勉強する教科書に写真入りで紹介されている程です。
ダムの工事は大正9年(1920)から昭和5年(1930)までの10年に及びました。
当時の台湾は明治28年(1895)から日本の統治下にありました。日清戦争後に下関条約が締結されたためです。日本は台湾の開発と近代化に尽力したといいます。
「統治下」という響きには、「占領」や「植民地」といったネガティブなイメージがつきもの。しかしその台湾で今でも感謝し続けられているのはどうしてでしょう。
烏山頭ダムは台南全区の民生用水の備蓄、かんがい用など幅広い用途の ダムではなく台湾最大な人造湖です。空から見て、ピュアなブルーで、「珊瑚潭」の美称を得られた。日本の水利技術者八田與一の銅像が立って、日本統治時代に感謝の気持ちを持ってます。#台南 #台湾 #観光 #スポット pic.twitter.com/k3De8NMprD
— 台南の観光 (@TainanTravel) 2017年6月20日
烏山頭(うさんとう)ダムと八田與一の功績
烏山頭ダムは嘉南平野にあります。
当時の嘉南平野は河川が少なく、不毛の土地でした。
嘉南平野は15万ヘクタール。
香川県が約18万7千ヘクタール、東京都が約21万9千ヘクタールですから、その大きさは想像を絶する広さです。
この広大な土地が深刻な干ばつで、地域の農民たちは水不足に悩まされ、貧しい生活を送らざるを得ませんでした。逆に雨期には洪水の危険もあったのです。
八田さん達はこの土地にダムを建設して水源を確保し、治水事業で農業用水を確保。苦難の工事の末、嘉南平野は台湾最大の穀倉地帯になりました。お米は年に2回収穫、他にもマンゴー、スイカ、バナナ、サトウキビなども採れるようになり、地域住民の生活は一変します。
ダム建設に際しては、作業員のための宿舎や学校・病院なども建設しました。現場では自ら率先して危険な現場に行き、日本人と台湾人の区別をすることなく一緒になって作業。工員たちから深く信頼されていたといいます。
私の感想
八田與一さんはその後台湾を離れますが、アメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃で非業の死を遂げます。敗戦後、奥さんは夫が人生をかけて造りあげた烏山頭ダムの放水路に身を投げて亡くなりました。
想像ですが、八田與一さんは家族にも地元の人にも優しい、思いやりの深い人だったと思われます。最初に台湾を訪れて悲惨な現状を目にした時、「この人たちの生活を何とかしてあげたい」と強く願ったのでしょう。
その後は自分で政府に掛け合い、反対を押し切って多額の資金を捻出させ工事を断行。誰にでも分け隔てなく親切な態度で接したことが、「嘉南大圳の父」と現在でも慕われる理由ではないでしょうか。
このダムのお陰でどれだけの人が救われたかわかりません。同じ日本人として誇りに思います。後世に伝え続けたい人です。
子供用にはこちらがオススメです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。