おはようございます。ミツアキです。
5月28日は私の人生が大きく変わった日でした。
酒に溺れたくないのは「父のようになりたくない」からかもしれない
千昌夫さんの歌に「オヤジみたいな酒飲みなどに、ならぬつもりがなっていた」という歌詞がありますが、激しく共感。
5月28日は父が他界した日で、私が毎年一番酒を飲んでしまう日でもあります。
父は享年34歳でした。
死因は急性アルコール中毒。
病院が嫌いな人だったので解剖もせず、正確な死因は誰にもわかりません。
しかし今思い出すと、恐らく肝硬変から肝臓癌になっていたか、急性膵炎を起こしていたかなあという感じです。
私は小学6年生、妹が小学4年生の時でした。
夜中に母親の叫び声が聞こえたため驚いて見に行くと、白目を剥き口から泡を吹いている父の姿が…。母は取り乱して電話をしたり、心臓マッサージをしたり。バタバタ走っていた姿が脳裏に焼き付いています。
自分と妹は何をしてよいかわからず震えていました。そのまま父が帰ってくることはなかったです。
朝から飲んでいた父。いなくなったらどん底貧乏生活。
父は本物のアル中でしたね。亡くなる1~2年前は朝から毎日飲んでました。
ただ、子どもは大事にしてくれたので、私と妹に実害はありません。むしろ楽しげに飲んでいる父が好きで、「焼酎買ってきてくれ」と頼まれるとお釣りで何でも買ってよいため、喜んでお店に行っていたことを思い出します。
母には「飲み過ぎ、やめなさい!」と言われるたびに喧嘩して、暴力を振るうこともあったようです。
病院に行くとお酒が飲めなくなることがわかっていたのか、顔が黄色くなっても受診しませんでした。そりゃあ死にますよね。
大黒柱がいなくなってからは一気に貧乏生活です。 母は働きながらも毎晩飲むようになり、あんなに怒っていた父と同じことをしてました。人間ってそんなもんですよね。吞兵衛の両親を見てきたのに、私も酒をやめられません。
ちなみに母は365日飲み続け、今は若年性アルツハイマー型認知症で施設にいます。
断酒・節酒を目指す理由
酒をやめよう、あるいは減らそうと思ったのは、自分の体に異変が起きたからです。痛風で激痛を味わい、尿管結石で手術をし、血液検査をするたびに肝機能が高く出ます。
長生きしたいというより、家族に自分の子ども時代のような想いをさせたくないというのが本音です。急に家族がいなくなる寂しさ、貧乏生活のつらさは耐えがたいものがありました。
節酒日記(4日目)
昨日はお酒を飲みませんでした。
ブログに宣言しているお陰です。
自分の意思では無理だったのに、このブログを書き始めてからお酒を控えることができています。人に見られる、宣言するというのは大事ですね。読んでくださる読者の方がいるお陰です。感謝しています。
スターを付けていただいたり、時々温かいコメントをいただいたりするたびにうれしくなります。本当にありがとうございます。
父のようにお酒で早死にすることがないよう、適量で程よく楽しくお酒と付き合っていけるようになりたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。