おはようございます。ミツアキです。
5月12日は「国際看護師の日」。
「白衣の天使」「近代看護教育の母」と賞賛されるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日です。
ナイチンゲールの足跡と功績
以前は「看護婦(かんごふ)さん」と呼ばれていました。
今から約20年前の2002年「看護師」に統一され、現在は男性看護師も増えていますね。
5月12日は、日本で「看護の日」でもあります。
厚生省(現在の厚生労働省)・日本看護協会等が1991年に制定しました。
看護学校で必ず勉強するナイチンゲールの理念と看護学。
一体どんな人だったのでしょう。
ナイチンゲールが築いた近代看護教育の礎
1850年代といえば、まだ日本では江戸時代。イギリスで生まれたナイチンゲールは貧しい農民の生活を見て、人に奉仕する仕事に就きたいと考えて看護婦になったといいます。
しかし当時の看護婦は、病院で病人の世話をする単なる召使。専門知識は必要がない職業と考えられていた時代でした。
転機は1854年に勃発したクリミア戦争。負傷兵の扱いが悲惨な状況と聞き、自ら38名の看護婦を率いて従軍します。最初は軍部に拒絶されますが、不衛生な兵舎の環境を整備。渾身的に負傷兵の世話をし、トイレや病室の衛生状態を改善しました。すると42%だった兵士の死亡率が2ヶ月後に14.5%、翌月には5%まで改善します。
後に兵舎病院での死者は、ほとんどが傷ではなく、病院内の不衛生により蔓延する感染症だったことがわかりました。その働きぶりでナイチンゲールは「クリミアの天使」とも呼ばれました。また、ランプを持って欠かさず夜回りしたことから「ランプの貴婦人」とも呼ばれます。
薬ではなく、献身的な看護と衛生環境の改善で大勢の兵士を救いました。
単なる召使いが「医療の専門家」になった出来事です。
ナイチンゲールの残した著書
「国の英雄」のように扱われることを嫌い、クリミア戦争からは偽名を使ってコッソリ帰国したそうです。謙虚な人だったんですね。
ナイチンゲールの素晴らしいところは、経験を生かして「看護学」を確立した所ではないでしょうか。
その後看護学校を設立。統計学にも精通し、看護に関する150以上の膨大な著作を残しています。病院や病棟の建設にも言及し、後に世界中の病院建築に取り込まれています。著書『 Notes On Nursing(看護覚え書)』は、看護教育のバイブルです。
看護についての著作
・カイゼルスウェルト学園によせて(1851年)
・女性による陸軍病院の看護(1858年)
・看護覚え書(1860年)
・インドの病院における看護(1865年)
・救貧病院における看護(1867年)
・貧しい病人のための看護(1876年)
・病院と患者(1880年)
・看護婦の訓練と病人の看護(1882年)
・病人の看護と健康を守る看護(1893年)
病院についての著作
・病院覚え書(1863年)
・産院覚え書(1871年)
・英国陸軍の保健についての著作
・英国陸軍の保健(1858年)
・インド駐在陸軍の衛生(1863年)
(Wikipediaより)
世界中の看護師さんに感謝しよう
新型コロナウイルスの影響により、世界中が大混乱に陥りました。そんな中、感染している患者を必死で治療・看護している人たちに心から感謝したいと思います。
医療従事者を差別的に見る人がいるという報道が後を絶ちません。感染者が出た病院の医師や看護師は、その家族まで被害を受けているといいます。「自分も感染するかもしれない」という危険を承知で激務をこなしている人たちを、そんな目で見るのはやめましょう。人間の方がウイルスより怖い。
日本中、世界中の看護師の皆さん、本当にありがとうございます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。