4月25日は忘れられない日。
尾崎豊さんの命日です。
亡くなったと知った時は本当にショックでした。
葬儀の喧騒は今も鮮明に覚えています。
「10代のカリスマ」という違和感
尾崎さんのデビューは高校生の時。
高校といっても青山学院高等部を中退。
卒業式の日に仲間達を集めて披露したライブが映像が衝撃的でした。
DVDではなくVHSの時代。すり切れるほど見ました(笑)。
尾崎さんの人気が沸騰した頃、私は中学生くらい。
「15の夜」や「十七歳の地図」が直球ドストライクで、大ファンになりました。
自分たちの気持ちをわかってくれている、という共感からファンを急増させたのだと思います。
しかし校内暴力や家庭内暴力などが社会問題化していた頃。
「盗んだバイクで走り出す」とか、
「夜の校舎窓ガラス壊して回った」
という過激な歌詞をマネする人が増え、「悪の根源」・「若者の教祖」など、大人にはダークなイメージがつき、受け入れられなかった時代でした。
一部分だけを取り上げて批判する大人達、社会に向けて不信感が募り、違和感からさらに反抗を呼んだのだと思います。
なぜみんな尾崎豊に熱狂したのか
1980年代は高度経済成長真っ只中。
受験戦争に勝ち、良い学校に通って、良い会社に勤めることができたら幸せになれる、そんな幻想が蔓延っていました。
バブル経済、終身雇用制、学歴社会…。
親、先生からは「とにかく勉強して良い大学に行きなさい」と言われ、勉強ができない人や集団でうまくやれない人は「落ちこぼれ」とレッテルを貼られます。
そんな時代に「本当にそれでいいのか?」と問いかけてくれたのが尾崎豊さんだったのかもしれません。
ライブ音源では「語る」ところが響きます。
「弱い犬ほどよく吠えるって言うけど、何もしないよりはマシなんだぜ」
「自分に関わる全ての人や物を、自分の鏡として見つめてみることだ」
など、迷った時に思い出します。
真面目に勉強し、先生の言うことを大人しく聞いている人間が優等生。
そうでない奴は劣等生。
今でも「勝ち組、負け組」なんて嫌な言葉がありますが、当時はもっとひどかった。
しかし、「あんな落ちこぼれになりたくない」と人を上から見下ろしてニヤけているエリートの方が間違っているんじゃないか。人としておかしいんじゃないのか、と尾崎さんが問いかけてくれたのだと思います。
歌詞にも「愛」という言葉が多く使われるように、尾崎さんは人間の愛を大切にしていたのだと思います。誰一人差別されることなく、愛される資格がある。
「I love you」「Oh my little girl」など、ラブソングは秀逸。
ファンからは強烈なメッセージソングを求められても、本当は愛の詩を紡ぎたかったのかもしれません。
これからもずっとファンです。
ご冥福をお祈りします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。