KOHARU日和

見たテレビ、読んだ本、感動した映画など、日々感じたこと

今日(4月13日)は啄木忌

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石川啄木が132日間を過ごした函館の像(啄木小公園)

こんにちは。ミツアキです。

 

今日は石川啄木の命日

1912年の4月13日、石川啄木が肺結核のため亡くなりました。

26歳という若さです。

「一握の砂」などが有名で教科書にも載っていますが、貧しさの中苦労した人なんですよね。

 

岩手県で生まれた啄木は尋常高等小学校に代用教員として採用されます。

 

その後、北海道の小樽で新聞社の記者になりますがまもなく退社。

文才のあった啄木は東京に出ました。

 

与謝野鉄幹や森鴎外、中学で一年上だった金田一京助などと親交があったようです。

生計のため小説を売り込みますが成功せず、

「貸本屋が来たけれど、六銭の金がなかった。」などの記述が残っています。

借金をよくしていたとか。

 

啄木を有名にしたのは友人達。

若くして病気で亡くなった後、友人達の尽力で彼の作品が世に出ます。

その後日本中で啄木の作品が親しまれていることを、本人は知らないんですね。

当時の肺結核は不治の病。

惜しい人を亡くしました。

 

石川啄木の作品 歌集「一握の砂」より

石川啄木の作品には、最も有名な第一歌集『一握の砂』の他に、
第二歌集『悲しき玩具』、『啄木遺稿』、『啄木歌集』、『我等の一団と彼』などがあります。

 

『一握の砂』より、よく知られているものを掲載します。

 

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

情景が目に浮かぶようです。

 

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽(かろ)きに泣きて
三歩あゆまず

 育ててくれた母親を背負ったとき、その軽さに年老いたことを感じたんですね。

 

 

はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る

わかるなぁ~、これ。

いくら必死に働いてもお金は残らず、どこかに飛んでいく。

今後のコロナ不況、大丈夫だろうか?

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。